「暴力で平和維持」の誤解

山極壽一 (京都大学教授)
2012年12月16日

◎別の手段、模範を日本が

今年のノーベル賞は、京都大学の山中伸弥氏が受賞して多くの日本人が大きな喜びを手にした。人工多能性幹細胞(iPS細胞)の開発は誰もが祝福する快挙だ。ただ、ノーベル賞の中でも平和賞だけは、なぜと首をかしげる受賞者が多い。今年はEU(欧州連合)が受賞したが、その理由である「戦争を二度と繰り返さないことを目的に行ってきた活動」というのは本当だろうかと疑いたくなる。

アジアやアフリカで起こっている紛争は、もともと欧州列強による植民地支配で民族が分断されたことが原因だし、いまだに土地や資源をめぐる争いに欧州の企業や政府は深く関与している。戦争を長引かせている原因は、欧州各国の繁栄が発展途上国の無秩序に支えられているからだと言っても過言ではない。その負のスパイラルをEUは少しでも改善しようとしているだろうか。

この秋に再選されたアメリカ合衆国のバラク・オバマ大統領も平和賞の受賞者だ。2009年12月のノーベル平和賞の授賞式で、「戦争はどのような形であれ、昔から人類とともにあった」と述べた。そして、平和を維持する上で戦争は必要であり、道徳的にも正当化できる場合があることを強調した。その言葉通り、アメリカはアフガンへの武力介入を強め、11年にはアルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンを殺害している。

私はここに世界の暴力に対する大きな誤解を感じずにはいられない。なぜオバマ大統領は戦争という暴力が平和の正当な手段であると言いきるのか。なぜノーベル平和賞は暴力を用いて戦争を抑止しようとする活動に与えられるのか。そこには、戦争につながる暴力は人間の本性であり、それを抑えるためにはより強い暴力を用いなければならないという誤った考えが息づいているように思う。

この考えが世界に広がったのは第二次世界大戦の終了直後である。人類は長い進化の歴史の中で狩猟者として成功し、獲物を捕らえるために用いた武器を人間へ向けることによって戦いの幕を開けた。戦うことは人間の本性であり、社会の秩序は戦いによって作られてきたとする考え方である。

この説は南アフリカで人類の古い化石を発見したレイモンド・ダートによって提唱された。ノーベル賞受賞者で動物行動学者のコンラート・ローレンツは、人類が抑止力をもたないままに武器の開発によって攻撃性を高めたとして、その説の後押しをした。戦争が人間の原罪であり、暴力は最初から人間とともにあったとする考えは急速に世界に普及し、「2001年宇宙の旅」などの映画のテーマとなって人々の心に深く根を下ろすようになった。

ところが、その後明らかになった科学的事実はこの考えとは全く違う。人類は狩猟者ではなく、つい最近まで肉食獣に狩られる存在だったし、人間に近縁な霊長類が群れを作る理由は、食物を効率よく採集するためと、捕食者から身を守るためということがわかってきた。

ダートが主張した人類化石の頭骨についた傷は、人類によるものではなく、ヒョウに殺された痕だと判明した。強大な力を誇るゴリラでさえ、オス同士の衝突で力の弱いメスや子どもが仲裁をする。力で屈服させることが平和の手段とはなっていないのだ。人間が同種の仲間に武器を向けたのは約1万年前に農耕が始まってからの出来事で、人類の進化700万年のごく最近のことに過ぎない。戦争が人間の本性などとはとても言えない。そもそも狩猟と戦争は動機が違う。狩猟は食べるための経済的な活動だが、戦争は相手と合意するための自己主張だ。相手が認めてくれれば戦いを続ける必要はない。

集団間のトラブルに戦いという手段が用いられるようになったのは、人間が持つ高い共感能力が言葉によって目的意識をもち、集団への帰属意識を強めるために使われ始めたせいだと思う。政治家が巧みなコミュニケーション技術を用いて利用するのは、人間の仲間を思いやる気持ちと、仲間のために尽くしたいと思う強い願望なのである。戦争という手段はその意識を高め、仲間の結束を促すからこそ政治の格好の手段となる。

今、日本では近隣諸国とのトラブル防止のために武力増強が必要との声が高まりつつある。アメリカの強大な武力を傘にしなければ国土を守れないという声も強まっている。しかし、人間以外の動物は同種の仲間の争いを力で抑えたりはしない。ベトナム、イラク、アフガンなどアメリカの武力介入を受け入れた諸国が幸福になった例はない。日本が武力を強めていく将来に私は強く異を唱えたい。世界はそろそろ暴力とは別の手段を採用して紛争を解決すべきなのだ。現代の科学による正しい人間の理解がその先鞭(せんべん)をつける必要がある。これからの日本の政治はその範となることができると私は信じている。

この記事は,毎日新聞連載「時代の風」2012年12月16日掲載「「暴力で平和維持」の誤解・山極寿一」を、許可を得て転載したものです。