現代の住まい

山極壽一 (京都大学教授)
2015年12月06日

◎人間関係の再考を

人間の住居はいったい、どのような背景と動機で作られてきたのだろうか。最近、めまぐるしく住居が建て替えられるようになり、町並みが急速に変わりつつあるなかで、住まいの本質とは何かを強く感じるようになった。

人類の進化700万年のなかで、定住を始めたのはつい最近のことである。1万2000年前に農耕や牧畜が起こる前は、移動しながら暮らす狩猟採集生活だったのだから、きちんとした家はそれ以降のことだろう。私はアフリカの熱帯雨林で狩猟採集生活を営むピグミーの人たちといっしょにゴリラの調査をしたことがある。頻繁に森の中を移動する彼らは、狩猟具や食器などわずかな家財道具しか持ち合わせておらず、住居もほんの数時間で作ってしまう。細い枝を切ってきて折り曲げ、円すい状の小屋を作り、それにクズウコンの葉をかぶせるだけである。せいぜい数人が入る大きさで、十分に雨がしのげて安眠できる。

実は、人間以外のサルや類人猿には奇妙な住居の歴史がある。最も原始的なサルたちは夜行性で、木の洞に安全な寝場所を作り、ここで子どもたちを育てる。昼行性のサルたちはこうした巣を作らず、広い範囲を動き回りながら、毎晩違った木の上で眠る。人間に近縁なゴリラやチンパンジーなどの類人猿は、大きな体を支えるため、樹上に1人用のベッドを作って眠る。

しかし、人間はいつの頃か、このベッドを作る習性を失ってしまった。古い人類の遺跡からベッドは見つかっていない。熱帯雨林を出て草原へ進出した人類の祖先は、地上性の危険な肉食獣を避けるため、洞穴や岩壁などベッドの材料が得られない場所で寝たのであろう。しかも、単独のベッドで寝るより、安全を期して家族や仲間と寄り合って寝る道を選んだ。それが、やがて家族や共同体が単位の住居へとつながったのだと思う。

つまり、人間の住居は家族や共同体の信頼関係を反映する場所なのである。だから、人間の住居には雨をしのぐ屋根だけでなく、外からの視線を防ぐ壁がある。それは、住居の中と外の世界をはっきり区別する境界の役割を果たす。そして、住居と住居の配置は家族間や集団間の社会関係、すなわち共同体の構造を反映していたはずである。

おそらく、家の構造もそこで暮らす人々の人間関係を表していた。台所や居間、寝室や隠居部屋などの配置は、その家の住人だけでなく、隣人とのコミュニケーションも考慮して作られていた。だからこそ、家の中の出来事は隣人に知られやすい場所と、隠されるべき場所に区別でき、それが共同体の間で共有されていた。

しかし、現代の住居はこのような人間関係を一切考慮していない。いくつかの住居のモデルがあって、それを個人が自分たちの生活設計に従って選ぶ。住居を作る側がそこで得られる利便性と夢を解説し、住む側はその条件が自分の希望に合うかどうかを判断するだけである。両者が合意すれば、住居はモデルに従ってまたたくうちに建てられる。

私が子どもの頃は、まだ大工さんが家を建てていて、左官屋さんや畳屋さんなどいろんな職人の共同作業だった。棟上げの時には近所に餅を配り、近隣の住人が家の中まで入ってきてあれこれ見てまわった。新しくどんな人々がどんなふうに住むかを、人々はよく熟知して社会のネットワークに温かく迎え入れてくれた。住居とは個人のものでありながら、隣人たちとの共有空間でもあったのだ。

それがいつしか個人の所有物となり、外の世界と隔絶する場所となった。私が暮らしている街でも、町家の建ち並ぶ一角に突然マンションが建ち、現代風の店ができる。どんな人がどんな暮らしを営んでいるかわからず、近所でうわさすらできない。時折、上方の窓から激しく子どもをしかる声や、泣きじゃくる声が聞こえてきたりする。でも、その暮らしの実態がわからない私たちは、介入していいかどうか判断に苦しむ。

現代は、あらかじめ用意された住居が個人の好みで建てられる時代である。それは昔とは逆に人間関係を規定し、個人や家族を隔離し、社会のつながりを分断している。今一度、人間の豊かな関係が見える住まいを考え直すときが来ているのではないだろうか。

この記事は,毎日新聞連載「時代の風」2015年12月06日掲載「現代の住まい・山極寿一」を、許可を得て転載したものです。